「普通の人」じゃなくなる方法を考える

「普通」じゃなくなる方法サムネ

Terve!
こんにちは、ロニーです。

夏真っ盛り!
まだ7月も上旬だけど!

今の現場の終わりが見えてきました。
まだ終わりについてはまだ確定ではないため何とも言えないのですが、
新しい環境に移るってだけでワクワクしちゃいますね。

 

さて最近考えていることの1つに「普通じゃない人になる方法」があります。

「普通の人と同じことをしていたら、普通の人と同じ結果しか得られない。」
ということは、
「普通の人以上の結果を出したければ、普通の人と同じことをしていてはいけない」
ということになります。

僕は、尋常以上の結果を出したい、というわけではありません。
例えばITエンジニアとして名を馳せたいとか、宇宙を凹ませたいとか、そういうのは求めてません。

しかし、自分の理想的な生き方というのは普通の人とは違うルートなので、普通の人と同じことをしていてはその道を歩めない、って壁に当たっているのが事実です。

そういうわけで、今回は考えをまとめる意味でも「普通の人」じゃなくなる方法について書いていきます。

「普通の人」じゃなくなる方法を考える

「普通の人」とは?

「普通」という状態とは何か。

コトバンクにおける定義では、
「特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。
それがあたりまえであること。また、そのさま。」
とあります。

僕なりにその定義をより詳しく言い表してみると、普通とは
「物事の状態を規定する、自分が着目するある要素において、
そのパラメータが同等多種と比較して平均値または中央値に当たるなどによって目立った特徴がみられない様子」
でしょうか。

そうなると、「普通の人」であることから脱却するには
自分が普通じゃなくなりたい任意の要素に関して、
平均や中央値から離れれば達成される、と考えられます。

平均的な値の位置を大きく上回るか下回れば、普通じゃないベクトルに近づきます。

大多数の人がしないことをするか、できないことをする。
逆に、大多数の人がすることをしないか、できない。

すると普通じゃなくなってきます。
普通じゃない人に成れます。脱凡人。

 

一昔前であれば「普通」であることが美徳でした。
しかし今では、個性を伸ばすべし、と喧伝されるように、普通じゃない方の面がポジティブに受け取られる風潮が高まってきています。

養老孟司はその「個性的になれ」という風潮を批判しています。
人は生まれつき身体が異なるため既に個性的だし、それ以上に社会協調性の方が大事、という主張です。

それにも一理ありますが、個性的になるべしという考え方はそもそも、「人に大きな迷惑を掛けない」、「ルールやマナーを守る」といった最低限基本的な社会性を押さえた上での発言のはずです。
その土台の上の個性はむしろ益があるものだと思います。

多様な働き方が可能になってきている昨今、もはや社会性・スキルの欠如ですらハンディキャップにならなくなってきていますし、右倣えや和ばかりを重んじるよりも、むしろ社会に波風を立てて変革を起こす人の方が現代では必要性が高いと私は考えています。

前提 ~なぜ「普通の人」じゃなくなりたいか

僕が普通の人から脱却したい理由は、
そうでないと自分のミッションに到達できなさそうだと思っているからです。

僕の現在の人生のミッションの一つが、「英知の獲得」です。

そこへ向かうプロセス自体は「真理の探究」であって、
その真理の探究というのも僕の超長期的な継続目標です。

僕の原動力の大部分は知識欲、好奇心です。

どうすれば自分が心から楽しいと思える仕事をして暮らしていけるか。
どうすれば誰もがやりたい仕事をできるような社会になれるか。
どうすれば楽しく健康的で自立した生活を送れるのか。

こういった課題意識を解決する方法が気になるため、様々な側面からその答えに近づけそうなことを調査したり、学んだりしています。
しかし世の中は複雑系であるため、そう簡単に解決方法は見つかりません。

この複雑で難解な問題に挑んでいると、個人ではなかなか知り得ないような一次的な情報や知見が必要になってきます。
それを知るためには、やはり直接会って話したりする機会が必要。

ただ、専門家、知識人、権力者、業界人などと知り合って何か教えてもらうには、
まず自分自身に魅力がなくてはいけません。

自分に何らかの魅力や実績がなければ、忙しい人がわざわざ自分と会うために時間なんか作ってくれません。

では僕が面白いと思う人たちに、僕を面白いと思ってもらうためにはどうしたらいいのだろうか。
その答えの一つが、「普通じゃなくなること」でした。

ランチコースの前菜

誕生日クーポンをゲットして行ったVansanのランチの前菜。こういったクーポンを使うから妻に「ど凡人」と揶揄される。

「普通」から脱却するには

さて、ではどうすれば「普通」じゃなくなれるのか。

結論、2通りあると考えました。

一つ目が、「オリジナリティを出す」こと。
二つ目が、「偏らせる」ことです。

オリジナリティを生み出す

まずオリジナリティがあれば、ブルーオーシャンで戦えます。
すると成果が出やすいだけでなく、
ニッチな部分=「よくある」部分じゃないので、それだけで「普通」から離れられます。

しかし問題は、オリジナリティはどこからどう生まれるのか、という点。

オリジナリティを個性と置き換えれば、
前述の養老孟司氏の意見でいえば、生まれつきの自分の身体性が個性であり、
オリジナリティの原点になります。

得意なことが仮に見つからなかったとしても、
好きなことついついやってしまうことというのは誰しも持っているものです。
そこが起点になります。あくまで起点です。
それそのものではなく、そこから細分化が必要です。

例えば僕は本が好きですが、特に好きな本はどういったジャンルなのか。なぜ本が好きなのか。
また僕はマンガも好きなのですが、じゃあ本とマンガに共通する要素は何か。

こういった形で「好き」を細分化して要素を抽象化すると、僕の場合は「新しい知識を得るのが好き」「新しい世界を知ることが好き」ということが分かってきます。

また、「情報が整理されている様が好き」、「世界の構造を理解することが好き」、「想像力を掻き立てられるものが好き」でもあります。

細分化した要素がまとまっていつつ、他と重ならない自分なりのアウトプットは、オリジナリティがあるものと考えられそうです。

言い換えれば、忖度なしに自分の好きな要素を詰め合わせたアウトプットが、オリジナリティになると考えられます。

この世の中、完全なオリジナルは中々見つけられません。
どっかの誰かが同じことをやっていますが、そこに自分の名前、人間性、そこに至るまでのストーリー・使命感などが付加されていれば、充分オリジナルになるはずです。

積極的に偏らせる

自分の趣味嗜好や、癖などがあれば、
その要素を積極的に助長して極端に偏らせれば、普通じゃなくなります。

魚を研究しまくるとか(さかなクン氏)、
石器から竪穴式住居を作るとか(関野氏)、
毎日牛丼を食べ続けるとか(マナリス氏)、
どんなことでも、他の要素を捨てて好きな要素一点に集中して偏らせれば普通の域を超えます。

アスリートも音楽アーティストも、おそらくこの類に入るのでしょう。

どれだけ自分のリソースを一点に投下できるかによって成果が変わるので、変態か病気と言われてもおかしくないくらい一つのことに集中できれば他の追随を許さない域に達せるはずです。

僕が敬愛している人はやはり飛びぬけています。

佐藤優氏や落合陽一氏などは、健康度外視で働いてきた人です。読書量・仕事量も群を抜いています。
堀江貴文氏も家族や安定などを犠牲にして、活動しまくる人です。
健康や安定度外視という意味では、イーロン・マスクも規格外の好例でしょう。
健康や安定を意図的に捨てようとしているのではなくて、やりたいことやるべきことに没頭しているうちに健康のラインを超えてしまうのだと思います。

僕は偏るのが非常に苦手です。「中庸」とか「バランス」を強く意識してしまいます。
これ本当に難しいと思います。
特にどちらかというと健康オタクな方なので、食や睡眠を削れないというのはハードルが高い。
寝食を忘れて集中し続けられる物事って中々見つからないですよね。

僕も幼少期はLEGOに、中高生の頃はハリーポッターに、高校~20代の間はドラムに没頭していましたが、振り返ってみればまだまだ突き抜けられなかったように思います。

僕は何を捨てられるだろうか?

外聞とか贅沢な暮らしはもう捨てました。
健康と家族は捨てられません。
そうなると、やはりやりたくないことをする時間を徹底的に削って、やりたいことに全振りしていくしかない。
これはつまり「稼ぎのための」仕事の時間を減らして、好きだからする時間を増やす方に進めるということで、その代償は経済的な豊かさや安定性です。

今一度、サラリーマンを辞める時が来たのかもしれない。

ボロネーゼスパゲティ

好きな食べ物を食べに行くことは普通か否か?

心のままにやりたいことは何か

ここまで考えると、次は
自分の好きな要素、一点集中できる要素が何であるかを見つけることが必要となります。

最近、妻の勤め先の社長がお勧めした本を読みまして、
それが「自分の好きなこと」を考える上でとても参考になりました。

トッド・ローズ氏の『Dark Horse(ダークホース) 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代』という本です。

本書の要点を端的にいえば、「心の充足度を指針にして生きれば成功し幸せに生きていける」です。

そしてその根拠として「標準化」と「個別化」という二軸がまず存在することを述べ、
人が幸福感を感じられない理由は、現代の社会、教育、人の仕事観等の構造が「標準化」を元にしているからである
と説きます。

確かに、これまで人はあらゆるものに標準を規定し、それに沿って活動することで効率化を図ってきました。
それに対し、「個別化」とは個性など個々の性質を重視し活かすことを指しますが、個性は物事を標準化しようとするときには邪魔になるため、企業など組織は様々な形で個性、個別要素を消すように動いてきました。

しかし現代は、例えばダニエル・ピンクが『フリーエージェント社会の到来』でも述べてきたように、
個人がそれぞれその個性を発揮していく、フリーエージェント社会です。

標準、画一、平均、無個性、一体性という従来の価値観では、サービスもプロダクトも社会構造も飽和し、行き詰ってしまってしまいます。
だからこそ、個別、個性、オリジナリティ、クリエイティビティ、異端、異物感などの要素が重視され、停滞を打ち砕く要となるのです。

因みにこの辺を理解するなら山口周氏の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』が分かりやすいのでお勧め。

さて心の充足感を感じられるものは何か

『Dark Horse(ダークホース) 「好きなことだけで生きる人」が成功する時代』の中で紹介されているのは、「徹底的に自分の内面と向き合うこと」です。

自分の内面と向き合うこと方法として、
「判定(ジャッジメント)」する方法が紹介されています。

「判定(ジャッジメント)」というのは、
何か情報を受け取った時に、ポジティブに感じるかネガティブに感じるかという判定です。

自分が何かの情報に直面して、
感動した、腹立たしく思った、嬉しく思った、悲しく思ったなどの感情が動いた瞬間を見つけます。

それはどういった瞬間か。具体的に何のどの部分に心が動いたのか。

こういった日々の細かい判定が発生する要素を集めていくと、やがて自分が何に対してポジティブに感じ、何に対してネガティブに感じるのかが明確になっていきます

そしてそのタイミングと対象が意識的になれば、何らかの判断・決断に迫られたとき、ポジティブな選択肢、即ち心が充足する方の選択肢を選ぶことができるということになります。

 

僕は大学を卒業するときに就活をしなかったのですが、それがまさに「標準化」に対する抵抗感からでした。人は若いほど標準化よりも個別化の要素を強く持っているのでしょう。

旅の後、「プログラマーになる」という目的のためにあえてサラリーマンの道を選んで今に至りますが、やはりこの標準化からくる不自由さ・息苦しさをずっと感じています。

この5年間で厳密なルールや慣習の範囲内で思考するという習性がかなり染み付いてしまいました。
これはおそらく、仕事で直面する様々な選択肢で心が充足する方を選べていないからなのだと思います。

僕のブログで再三紹介している八木仁平氏の『世界一やさしい才能の見つけ方』には自分の才能を見つけるための1000もの質問が載っていますが、多くの質問に答えていくことで、自分の才能、自分が心から好きだと思うことをいくつも見つけられました。

僕の場合は例えば食べること、調べること、読書、ブログを書く、人前で話す、といったことです。

前述のオリジナルを見つける方法で書いたのと同様に、自分の好きなことをさらに因数分解していくと、例えば僕の場合は自分が知らない情報を知ること、人に情報を伝えること、変化することなどに心の充足感を得られることが分かってきました。

こういった好きな要素を可能な限り多く満たすものこそが「自分の好きなもの」であって、その自分の好きなものに、リソースを偏らせることが、普通じゃなくなるための第一歩になると考えられそうです。

つまるところ、オリジナリティを生み出すことと偏らせることは、
どちらも「自分が心から好きなもの」に真剣に向き合うという点でアプローチが共通しているわけですね。

目先の利益や即物的で消費的な欲望に惑わされずに心を充足させる選択肢を選び重ねていくこと。
そのための試行錯誤と内面との継続的な向き合い。
続けていこうと思います。

テーブルの上のコーヒー

近場でお気に入りだったDeakin ST Coffee Standが閉店して凹んでいる昨今。

おわりに

結論、普通から脱却するためのステップは以下だと考えました。

  1. 日々自分が接するあらゆる選択肢において、自分の心が充足する方を選ぶ。
  2. 自分の心が充足するオリジナリティのあるもの=好きなものに時間、お金、意識などのリソースを割いて偏らせる
  3. 偏りが平均や中央値から外れるレベルに達した時に「普通から脱却」できる。

自分はどうしてもバランスを取りがちです。
一般常識や、周囲の目に対する自意識や、偏って劣っている部分などに対する不安が邪魔をします。
こういった心理的なブレーキを意識的に外して、全力で自分の好きなことに突き進んでいく。

理性や慣性がハードルになるため一朝一夕に一変させられるものではないと思いますが、これからの人生の積み重ね、ないし岡本太郎氏の言う「積み減らし」によってじわじわと、しかし着実に、自分にとって望ましい普通とは違う「変人」に変身していこうと思います。

 

文章主体のブログ記事となりましたが、こういった内容をじっくり書いて、恐れずに公表するというのもまた僕にとっての楽しいことなのです。

ここまでダラダラと長い文章を読んでくださってありがとうございました。

ではまた!
モイモイ!

(他、参考図書)

created by Rinker
¥858 (2024/11/26 01:47:02時点 楽天市場調べ-詳細)

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました