Moi!
こんにちは、ロニーです。
先日、生き別れてた兄と連絡を取ることが出来ました。
フィンランドで元気でやっているそうです。感動。
さて前回に引き続き、AIに関するブログ内容です。
最初は一記事でまとめようとしたところ、
長くなりすぎたので2分割しました。
実は前回が前半で、今回は後半。とはいえ別々に読んで全く問題ありません。
我々は「AIを活用している」、と思っているけど、
その実、自分が既にAIワールドに包摂されていて、
じわじわと人間性を失ってきているのではないか、と思ってやまない昨今です。
今回は、With AI時代を生きていく上で、 メタ的に自分を見据えて、
AIに自分が消されないようにするために出来ることを書きます。
目指せメタ太郎!(BABYMETAL)
With AIな生き方 ~人が自ら成長する必要性~
人は他者との関係性の中で刻々と変化していく
まず前提として、
人は、自分以外の影響を常に受けて、変化し続けています。
人との会話、見聞きした情報などを受けて、自分の言動を微修正し、
少しずつ少しずつ変わっていく。
潜在意識は顕在意識以上に後を引くので、
潜在意識へ受けた影響は無意識に自分の記憶も心を変化させています。
ということは、生成AIとのやり取りによって、
良くも悪くも自分自身はなんらかの変化をしているわけです。
であれば、その変化はポジティブであってほしい。
AIが生成したものを評価する人間の感性の変化
AIを活用して、人が成長する部分はあります。
またAI自体も成長し、AI自身がAI開発をするというフェーズも2026年に予想されています。
(SNSリンク) Daniel Kokotajlo氏のXでの予測ツイート
しかし僕はどちらかというと、
AIによる能力の発展や、AIの能力の発展以上に、
人の様々な能力の低下の方を危惧します。
低下しそうだと考えているのは、
人の認知能力、判断能力、創造力などです。
人は生まれて以降、見るもの聞くもの触れるもの、
知覚経験の積み重ねでもって好みや情動的な反応が形作られていきます。
遺伝子レベルで受け継がれている特性、
例えば感情や身体的な向き不向きもありますが、
感性などの少なくとも半分は後天的なもの。
人生経験で触れる無数のインプットの質が、
多様であれば多様な環境に対応できるように育つし、
画一的であれば汎用性は失われて、逆に特定の領域に特化します。
この先、もし生成AIによって生み出される画一的な、
コスパのいい生成物ばかりをインプットして育っていった場合、人間の感性はどうなるでしょうか?
良い作品に多く触れたりして、多様で良質な知覚体験を重ねるほど、
知覚・認識するセンサーが微細な差異を区別できるようになり、
目利き力が鍛えられて、好みや審美眼が研ぎ澄まされるものだと僕は思っています。
普段クラシック音楽やジャズを聴かない人がその良さを認識しにくかったり、
食べ慣れていない高級料理を食べてもよく分からなかったりするのと同じように、
生成AIが作った音楽を聴いて、生成されたイラストを見て、
生成された文章を読んで、生成された動画を見ていたら、
その他のクリエイティブ作品の良し悪しが判別しにくくなるのではないでしょうか?
また、なじみのあるものに愛着を感じるように、
生成された作品に多く触れて育つことで、生成された作品を好み、
ノイズを含む人間の手製の創作物を雑なものとして受け付けられなくなっていきはしないだろうか。
僕は、文化の面白みは、世の中の偏り、ゆらぎ、ムラといったものにこそあると考えています。
ただでさえグローバル化によって均質化された文化が、生成AI作品が量産され、
生成物を元に再学習を繰り返した場合、
より一層均質化を進めてしまうことによって「つまらなく」なりそうで、
しかもそれを大勢が良しとして当たり前になって行くことに危機感を感じます。
世界各地、田舎には個性があって特徴的なのに対して、
首都はどこも似たようになって没個性化していくような現象が、
今後あらゆる創作物で一層進んで行くのではと想像します。
猫も杓子も「いらすとや」使っている感じ、といえば伝わりやすいでしょうか。
財布に優しくて便利だけど、みんなあれだとつまらない。
人間が作るアナログな作品であり、且つ極力ノイズを減らしたものは様々あって、
それらは人間がその非人間的な領域に到達しようとするドラマが感動を呼んだりします。
例えば左右対称で幾何学を多用したヴェルサイユ宮殿やタージマハルのような建築。
雑味をなくして極限まで澄んだコンソメや澄まし汁。
敢えてグルーヴを排除したYMOの楽曲など。
こういった、人間が困難に挑戦する試みには胸が熱くなる良さがあります。
その反対として、デジタルな作品でありながら人間臭さやノイズが混ざることで逆に面白みがあるものも色々ありますよね、
DJなどは既存の音源を組み合わせながらそこにジョッキーの個性を盛り込むし、
ノイズミュージックなどはまさにそう。
気分を害すことのない、綺麗な言葉や褒めてくれるばかりの甘い言葉。
労せず手に入れられる妥当できれいなイラストやBGM。
いかにもありそうなキャッチコピー。
そういった流動食ばかりを食べていたら顎は弱くなる一方で、
これは様々な潜在的な能力を弱めることに繋がります。
良し悪しを見抜く「倫理感」や「目利き力」、
選択肢のうちどちらを選ぶべきかという「直感」、「判断力」、
自分自身は何が好きなのかという「好み」、
自分の人生で重ねてきた経験や学びから生み出す「想像力」「創造力」。
弱めてしまって大丈夫でしょうか。
AIに負けないために身に付けるべき資質やスキルは多くの本で紹介されていますが、
AIに頼ってしまえば、こういったスキルは容易に失われていくでしょう。
AIが生成したものが正しいのか間違っているのかを判断する力、
良いのか悪いのかを判断する感性を弱めないためにも、
ノイズを完全にシャットアウトすることには危機感を持つべきだと僕は考えます。

最近水彩画が楽しいのでよく絵を描いてます
人はエントロピー増大を防ぐプロセスを好む
生物は多様性があるが故に、原始時代からの環境をここまで完全絶滅せずに残ってきています。
人間の好みや向き不向きに多様性があるのは、
こういったランダムな特性を持つことで、生活する場所、行動スタイル、病気への耐性などを変えて、
環境の変化などによって同時に絶滅しないような形で淘汰されないように進化してきた名残でしょう。
仕事や家事など、人間の活動の多くが、エントロピーの増大に抗う行為なので、
一見、エントロピーが弱い環境を好むと考えられそうです。
しかし例えば木々を見てホッとしたり、桜や廃墟から情緒を感じたりすることを考えると、
人は実は、エントロピーの増大を防ぐ「結果」ではなく「行為」自体を好み、
エントロピーが極端に弱い環境に身を置くよりも、
”エントロピー増大を防ぐことを可能にする環境”に身を置くことを本能的には好むんじゃないだろうか。
それが表出するのが、画一的なスーツを着込んで効率やコスト削減を突き詰めた無機質なオフィスで働くことに対する不快感であったり、キャンプやイベントを好む気持ちなのではないでしょうか。
仕事は歯車を作りたいからするのであって、歯車になりたいわけではないのです。

セリアのパズル楽しい。多分17世紀ごろのフランス人が描いた地図
おわりに
ChatGPTが、今年2025年4月10日に、メモリ機能を大幅にアップデートしました。
僕は最初、単に一度にプロンプトされる過去トークン量が増えたんだな程度に考えていて詳しく見ていなかったですが、使用感がかなり変わったように感じます。
メモリ機能で具体的に変わったのは、
過去の全チャット履歴を必要に応じて参照してくれるReference Chat Historyという機能が付いたことです。
僕は普段AIに質問するときには、
「自分はこう思うけど認識合っているか」
「A、B、Cという案があるが、他の案も出してほしい」
「その回答はつまりこういうことか」
のように、敢えて自分の意見や提案や例を盛り込むようにしています。
またコーディングでも基本コピペはしないようにしています。
そしてAIが回答してきた提案も、否定的に評価してから採用するかどうかを検討しています。
これは全部「自分の頭で考える」ことを放棄したくないからなのですが、
このメモリ機能のアップデートの直後に、AIがあることを言ってきました。
「具体的な手順やコードをお伝えすることもできますが、
あなたはおそらくご自身で直接試してみたいと思いますので、詰まったら相談に乗りますよ」
あ、また先に進んだなと。
単に解答や提案を押し付けるのではなく、
こちらの考え方や好みを理解した上で答えの匙加減を調整してきたのを感じました。
このパーソナライズの仕方は、教師、コーチとして素晴らしい。
しかし、これはおそらく僕がこれまでそういったやり取りをしてきたからこの回答が来たのであって、
もし丸投げ・鵜呑みを繰り返して来ていたら、このような回答は来なかったのだと思います。
生成AIは、おそらく現時点では、質問者を甘やかすもケツを叩くもプロンプト次第です。
使う人のレベルに応じた対応をしてくれるから、使いやすい。
それは逆説的に、AIは質問者を成長させてくれないとも捉えられます。
質問者は自分から成長していかないといけないのです。
教育の現場で、AIに教育を全部任せるといった選択はまず採らないと信じていますが、
人の知的好奇心を性善説のように過信してしまうと、思わぬ取りこぼしが起きうるかもしれません。
AIに何は頼って何は頼らないか。
あるタスクをAIに任せることによって自分が失うものと得るものは何か。
そういった、AI活用することによる自分の変化という背景に、
可能な限り意識を巡らせておくようにしておく習慣をつけるのが、
WithAI時代でも自分を衰えさせないアクションなのではと思います。
With AI時代、頭と心を使って、向上してきましょう。
誕生日プレゼントに貰ったTシャツ。「その手には乗りません」
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