時間は平等に24時間ではない

Terve!
こんにちは、ロニーです。

最近久々に苫米地英人さんの本を読みました。
『超「時間脳」で人生を10倍にする』 という本です。

時間術に関する本はいくつも読んできたけど、
今までにない新しい発見があったので再考察してみます。

今回のブログはめっちゃ長いです。
本に関しての具体的な話は、一番後ろになります。

時間が、ない

ヒマだな、と最後に感じたのはいつだろう。

バックパッカー時代の1年間ですら常に忙しく、
やりたいこと、やらなければいけないことが山ほどありました。

忙しいなと感じたのは中学校に入ったころからで、
それまでは「ヒマだ」とか「つまんない」とかが口癖でした。

それがいつからか常に時間に追われるようになって、
高校、大学、社会人と成長するにしたがって、
どんどん時間がなくなっていきました。

 

「楽しい時間はあっという間に過ぎ去るけれど
辛い時間ほど長い」
とよく言われるけれど、

今では辛い時間ですらあっという間に終わってしまいます。

「あれしたいな」
「これもやらなきゃな」

とタスクややりたいことリストばかりが積みあがっていき、
やがて書ききれなくなってしまいました。

誘われたり頼まれごとをした時も、
「忙しい」といって断ることが増えてきています。

そのたびに「忙しいは言い訳だ」とか、
「人類みんな平等に24時間なんだから時間がないわけない」
「時間は自分で作るもの」
と言われます。

果たして時間は本当に平等なのでしょうか?

環境によって可処分時間は異なる

まず経験として、
「環境・状況によって人が使える可処分時間は異なる」
と僕は思っています。

 

僕は長年、介護業界で働いていました。

訪問介護だと30分、1時間などの短い支援が一般的で、
その細切れの時間を使って1日に複数件のお宅を回ります。

リタイアして特に何もすることがないお年寄りなどは、
僕らヘルパーとおしゃべりするのが楽しみだったりして、
支援中もいろんな話を振ってきます。
彼女いるのーとか。

ただこちらヘルパー側としては30分以内に
洗濯機を回して
朝食作って
朝ごはんを食べてもらって
その間に洗濯物を干して
服薬するのを確認して
台所を綺麗に片して
冷蔵庫の中のものを確認して
連絡ノートに次のヘルパーさんやご家族への連絡事項を書き記して
介護記録を付けて
それでようやくひと段落、でも30分後には別のお宅に入らないといけない、
みたいな状況で働いているので、
申し訳ないけれどゆっくり話せないのが実情でした。

利用者さんとしては、
むしろ仕事はいいからゆっくり話し相手になってほしい、
と思っていたり。

その一方でご家族としては、
可能な限り家事を全部やって自分たちの負担を減らしてほしい。

介護保険の範囲内で納めてほしいけれど延長はされたくない、
けど出来たら掃除機もかけてもらいたい、みたいな状況。

介護する側、される側で、時間の余裕には大きな差があります。

なぜならライフステージが違えば時間は異なるから。

確かにみんな赤ん坊からお年寄りになるまで、
みんな同じライフステージを経験するので、
その意味では可処分時間は平等かもしれない。

では、次の例はどうでしょう。

身体障害者の利用者さんの場合。

 

僕は脳性麻痺の利用者さんを結構長く見てきました。

脳性麻痺の重度の方。

安定して筋肉をコントロールできるのが顔と指くらいだけ、
という人は、世の中にたくさんいます。

彼らは起きてから朝支度を始めても、
全て済ませる頃には昼も近くになっていたりします。

僕らがそれをサポートした上でです。

朝の挨拶をして
排泄介助して
布団から出て
着替えて
顔を洗って
髭剃って
朝ごはんを食べて
服薬して
歯を磨いて
トイレを済ませる。

ここまでの一連の流れで2時間超。

健常者なら1時間あれば充分終わるかもしれない。

障害の度合いが大きいほど、
生活動作のほぼすべてに他人のサポートを要します。

もちろん昼食も、夕食も、寝るときも、
寝返りをうったりするのも介助が必要。

彼らが自由に使える時間なんて、
24時間のうちの一体何時間なのでしょう。

少なくとも、生まれながらにして、
使える時間は人によって違うことがある、ってことです。

 

また、お金の多寡でも、使える時間に差が出てきます。

学生の頃は家事の大半は家族がやってくれて、
こっちは学校行くほかの時間は遊んでいられたものの、

大人になると生きるために仕事をしなくちゃいけなくて、
その仕事で1日のほとんどの時間を持っていかれてしまいます。

サラリーマンになった今では、
「定時」というものが一応存在はすれど、

就業前に頼まれごとをされたりすれば残業になるし、
現場でトラブルが起きれば解決するまで帰れない。

また残業がなくても、
会社への手続き書類の提出だとか、
週報・日報の報告だとか、
定期的な上司との面談だとか、
定例会だとか、

給与の発生しない、
個人の時間を使わないといけない細々した雑務に貴重な時間を少ずつ奪われたりします。

つまり、
仕事をしていれば誰しもが、
会社の都合や取引先の都合や他人の都合で、
自分の時間を奪われている、ということです。

もちろん、職が違えば、可処分時間は異なります。

稼ぎが多いだとか、
もともと家系が裕福でお金にひっ迫していない人は、

タクシーを使う、
家事代行を頼む、
外食する、などの、
お金で時間を生むという選択肢があるでしょう。

しかし薄給で、
かつ固定費が高い人の場合はその選択肢はなかなか選べません。

徒歩や自転車で移動し、
遠回りでも僅かに安いルートの電車を使い、
スーパーをハシゴし、
自炊を含む家事をこなさないといけないでしょう。

なんなら、世界には水を汲むために片道4時間かけて水源と家を往復する人すらいる
くらいです。

同じ24時間でも、環境が違えば、使える時間は、全く違う、
ということがわかります。

時間に投資をしろとは言うけれど…

ビジネス書やビジネス系Youtubeを見たりすると、
頻繁にこんな意見に遭遇します。

「電車通勤は時間と体力のムダ。
タクシーを使うか、いっそ会社のすぐ近くに住むべき」

「家事に時間を費やすのは時間のムダ。
家事代行を使おう、乾燥機付き全自動洗濯機を使おう」

「身体が資本!ジムに通って筋トレをすることでパフォーマンスが上がり収入は上がる」

 

いや、わかるけどさ…
もちろんそうしたいけどさ…

そこにお金費やしても給料はすぐには上がらないし、
先に手出しがあることをしようものなら、
下手したら家計が破たんします。

 

お金で時間を買うという行為は、それに見合ったステージがあるはです。

世の中の稼いでいる人は通勤や家事に時間をかけてなかったり、
定額サービスを活用して時間を生み出しているかもしれない。

だからといって、
通勤や家事に時間をかけず、
定額サービスを使うことが収入増に必ずつながるわけではありません。

浮いた時間ですぐにお金を稼げるのであれば時間に投資するべきだけれど、
固定の給与をもらっているステージの人が、
浮いた時間ですぐにお金を生みだすのは至難の業です。

時間があれば、
学習して資格を取ったり、
人脈を広げたり、
情報発信したり、
何かクリエイティブなことをして売れるものを作ることは可能です。

しかしそれらの行動が収入UPに繋がるのはずっと先で、
中・長期的な戦略であることを勘違いしてはいけません。

中・長期的な戦略で自己投資をすることは避けて通れないですけどね。

お金と時間の使い方の3つのステージ

お金と時間の使い方はステージによって異なると書きましたが、
そのステージを自分なりに3段階にまとめてみました。

ステージ1:逃げずにやるべきことをする段階

まずはお金を稼いで、貯めて、自己投資をする。

ウルトラCも近道もない。

自己投資とは、健康に気遣い、
知識やスキルを身につけるということです。

浪費を避けて、
時間効率のいい仕事を手に入れ、
自分のブランドを高めるために、自己投資は必要です。

 

ロバート・キヨサキが著書、
『金持ち父さんの金持ちになるガイドブック』(筑摩書房/2004年)
で言っているこの部分が胸に刺さりました。

『もし私が、「アーノルド・シュワルツェネッガーのような身体になれたらいいのに……」と言ったとしたら、どうだろう?たいていの人はまず私にこんなふうに言うだろう。
「ランニングシューズをはいて一日八キロメートル走り、三時間ジムで身体を動かし、ピザを口いっぱいに詰め込むのをやめなさい」
それに対して、私はこう言う。「彼のような身体になるのに、ほかに方法はないのかい?」
(中略)
すばらしい肉体を持ちたいと思っている人は何百万人といる。だが、そのための代価を喜んで支払おうという人はほとんどいない』

 

働いて稼ぐのも、
お金を使うのを我慢するのも、
勉強をするのも、
避けたががりがちですよね。

時間をかけないで、
ラクをして短時間に稼いだり、
お金が貯まったり、
スキルが身につくことはありません。

なのに、無意識に辛いことから逃げて、
急けては通れないことを避けてしまう。

ステージ1では、
言ってしまえば、「逃げない」でやるべきことをやれ
ってことですね。

ここにはきっちり時間をかけないといけないはずです。

ステージ2:お金が増える仕組みを整える段階

稼いだお金を増やす、なくさない。

いつも節約を意識し、消費を抑圧してきた人ほど、
お金が手に入ったらすぐ使ってしまうものです。

 

自分の場合、前職で経営者として働いていた時は収入が多かったけれど、
悔しいことに今はその1円すら残っていません。

そもそも「20代のうちは自己投資にお金を使う」と決めていたので、
勉強したり資格を取ったり人と会ったりするために、
余裕資金を全部費やしていました。

退職時に還ってきた資本金や資本分配金も、

世界一周の旅と、
旅後の新生活と、
学習費(オンラインセミナー、教材、コンサルなど)に全部消えました。

この数年間で詐欺にもあったし、
ついつい財布のひもが緩んで散財したりもしました。

お金がないからこそ前のめりでお金を増やそうとして、
すぐに増えるわけでもないものにお金を投じてしまうものです。

まずは減らさないこと、
そしてお金が着実に増えていく仕組みを整えること。

これがステージ2です。

お金が貯まったら、
怪しいハイリスク・ハイリターンな投資などに目を奪われず、
手堅くチビチビと投資に費やすとか。

大きく稼いだら気持ちが落ち着くまで寝かしておくとか。
自分がきちんと実績を持っている知識経験、
スキル人脈を使ってプラスマイナス1くらいの手堅いビジネスを立ち上げるとかすること。

ここで踏み外したらステージ1に逆戻りです。
ここもまだ時間が掛かります。

ステージ3:自分ブランドを確立する段階

自分のブランドを確立させて、大きく稼ぐ。
いつまでもチビチビとやっていても、じり貧になるだけです。

世の中はどんどん変革していきますし、
安定していると思っていた仕事や環境もふとした瞬間に崩れ去ります。

稼ぐ方法を見つけてもすぐに目ざとい競合にまねされて、
その手法も陳腐化していってしまいます。

今はもう個の時代に入っているのは確かです。

10年近く前からそれはもう言われていましたが、
Youtuberの登場でそれは確かなものになったと思います。

リモートワークが一般的になって、
政府が副業を押している今、
個人としてのブランディングを抜きに大きく稼ぐことは難しいと思っています。

個人個人がそれぞれのスキルと個性を発揮して、
それを求めている消費者に直接届ける環境は整っています。

地道に環境を固めたステージ2と、
自己投資を行ってきたステージ1があればこそ、
このステージ3にたどり着けます。

本格的にお金で時間を買って新たな時間、
より多くの時間を生み出せるのは、ステージ3に入ってからだと思います。

ステージ1や2でも、
場合によってはお金をかけてでも、時間を生むべきシチュエーションはあるでしょう。

ただし、安定した充分な資金と、
空いた時間でお金を生みだせる環境やスキルやマインドがない状態でそれをしてしまうのはリスクが高いです。

 

具体的な行動は人によって異なります。
向き不向きもあるし、現状が違うためです。

自分はまだステップ1にいて、ステップ2に向けて奮闘中です。
逃げない!

『時間資本主義の到来』の表紙

今人類が直面している、時間という制約条件

松岡真宏さんがその著作、
『時間資本主義の到来』(草思社/2014)の中で、
人類は今、時間という制約条件に直面している、と述べています。

人類にとっての制約条件、
つまり自由への足かせとなっていたものは、
かつては時間ではありませんでした。
それは古代では、「自然条件」。

厳しい天候や食料という、生きるためのハードルがありました。

それを狩猟採集から農耕、移動生活から定住と変わるにつれて、
克服してきたのです。

中世から近代にかけての制約条件は、
社会的な制約でした。

その制約は「身分」であったり、
「職業選択の制限」であったり、
「移動距離」だったりしました。

生まれながらにして与えられた身分は覆せず、
選挙権を持てず、
職業も親の後を継ぐしかなかった時代がありました。

また、産業革命以前は、
長距離の移動には多大な時間とお金を要したため、
地理的な距離はとても大きな制約になっていました。

これが社会的な制約です。

 

21世紀になる以前には、
「知識、情報の偏在」という制約条件がありました。

その制約条件は、
インターネットの登場と、PC、モバイル端末などの登場で、
制約が解き放たれつつあります。

かつては一部の有力者や権力者に占められていた情報も、
一般大衆が得られる時代が来たわけです。

 

『各人の情報格差がフラットな状態になった』、
と松岡氏は述べていますが、
正直これに関してはまだ道半ばではあると言わざるをえない、と思います。

世界の支配者しか知りえない情報というのは多くあるし、
それは巧妙に隠されていて平民は知りえないもの。

立証して暴かない限りは、
仮に「隠された情報がある」と主張しても、
陰謀論や誇大妄想をしてる奴としか相手にされなくなります。
悪魔の証明のような状態になってると言えるでしょう。

 

世界各国、各社会に「常識」があります。
その常識とは支配者・為政者によって都合よく加工された、
つまりフィルターがかけられた「常識」です。

岡目八目とはよくいったもので、
日本に住んでいる間はまったく気にも留めていなかったことが、
旅に出て海外から自国を見ることでその違和感に初めて気付かされました。

この情報社会、グローバル社会の中であっても、
いつでも快適にインターネットを使える環境というのはとても限られています。

サハラ砂漠の目の前の宿にすらインターネット環境はあったものの、
通信が不安定だったり、その国のルールで閲覧が制限されていたりしました。
ロシア、キューバが特にそうで大変でした。

 

時間という残された制約とともに、
この情報格差の制約もまだ依然として克服しなければならないタスクとなっています。

 

さて、残されたこの「時間という制約条件」とは、
いったいどういうものなのか。

それは「寿命」です。

人類はまだ永遠の命を手に入れていません。

医療の発達で寿命は延びましたが、
やりたいことをすべてするには、
人類には時間が足りていません。

寿命という有限の中で、
生き永らえ、
子孫を残し、
幸せを享受し、
死んでいく。

朝から晩まで働き続け、
節約し、我慢し、
それで一生を終える人が大半じゃないだろうか。

寿命と、その寿命の中での可処分時間を有効に使える”可処分可用時間”は、
満足のいくものではないです。

古今東西で臨まれ続けてきた、
「永遠の若さ」や「永遠の命」を、
人類はまだ手にしていません。

乗り越えられていない100年弱という限られた制限こそが、
「時間という制約条件」というわけです。

時間を10倍にする方法

さて、ブログの冒頭に話した、
最近読んで刺激を受けた話について。

苫米地英人さんの
『超「時間脳」で人生を10倍にする』
の中で、彼が主張しているのは、

脳を鍛えて体感時間を増やそう、という考え方と、
その実践の方法です。

氏曰く、
「一般人とNASAのエンジニアでは体感時間が500倍違う」のだそう。

普通の人があるプログラムを作るのに3か月かかるとしたら、
優秀なプログラマーは1~2日で作ってしまえるという。

NASAのトッププログラマーなら4~5時間で作れてしまう。

働く時間が同じでも、
情報空間では500分の1しか働いていないことになります。

NASAのプログラマーは、
スピーディーにタスク処理を行う脳の使い方を知っているので、
結果的に膨大な専門知識を吸収することもできるし、
普通の人の500倍のスピードでプログラムできる。
…というのです。

NASAのプログラマー凄すぎる!

10倍どころか500倍という話になってきているが、
まぁそこはツッコまない。

情報空間での可処分時間を500倍にできたら最高じゃないですか。

で、
体感時間を拡張するための3つの要因
というのがあって、
それが以下の通り。

  • クロックサイクル
  • 並列度
  • グレインサイズ(抽象度)
クロックサイクル

ひとつのタスクに対して、どれだけ早く処理できるかを図るものさしのこと。

並列度

同時に処理できるタスク数を指します。
並列度が高ければ、
同時に処理できるタスクの数が増え、
システム全体としてのタスク処理のスピードが上がります。

グレインサイズ(抽象度)

「グレインサイズを大きくする」とは、
「1回のアクションで処理できる情報量が増えること」。
「抽象度を上げる」ことと同じ。

 

この3つをそれぞれ高めることによって、
人間の情報空間での体感時間は拡張されるといいます。

具体的なトレーニング方法などは是非著作を読んでもらいたい。

『超「時間脳」で人生を10倍にする』の表紙

一見、ジョジョの奇妙な冒険のような、
「科学的な解説に聞こえるけど実際はトンデモ理論」のような印象を受けます。

が、この苫米地さん本人の生き方こそが、
この主張がいい加減なものではないという裏付けをしているように思うのです。

というのも、
苫米地さんの経歴を見ると、
常人では考えられないほどの活動・成果を出してきているからです。

苫米地さんの著者紹介から一部を抜粋してみます。

『認知科学者、計算機科学者、カーネギーメロン大学博士(Ph.D)、カーネギーメロン大学CyLab兼任フェロー。
聖マウリッツィオ・ラザロ騎士団ナイトグランドクロス(大十字騎士、Grand Cr.)。
マサチューセッツ大学コミュニケーション学部を経て上智大学外国語学部卒業後、三菱地所にて2年間勤務し、イェール大学大学院計算機学科並びに人工知能研究所にフルブライト留学。
その後、コンピュータ科学の世界最高峰として知られるカーネギーメロン大学大学院に転入。
哲学科計算言語学研究科並びに計算機科学部に所属。計算言語学で博士号を取得。
徳島大学助教授、ジャストシステム基礎研究所所長、通産省産業省情報処理振興審議会専門委員などを歴任。』

公式サイトを見ると自己紹介欄にさらに以下のように書いてあります。

『株式会社ドクター苫米地ワークス代表、
コグニティブリサーチラボ株式会社CEO、
角川春樹事務所顧問、
全日本気功師会副会長、
米国公益法人The Better World Foundation日本代表、
米国教育機関TPIインターナショナル日本代表、
天台宗ハワイ別院国際部長、
財団法人日本催眠術協会代表理事。』

これだけ幅広く研究を重ねてきているのに、
驚くべきはその著作数。
『おかげさまで著書は201冊を超え』って書いてあります。

もはやこち亀以上。

本当に常人の10倍は時間があるんじゃないでしょうか。

この経歴には説得力がありますね。

おわりに

時間は環境や状況によって異なり、
平等に24時間とはいえません。

ただし与えられた時間は平等ではなくても、
自分がその時間を少しずつ変えていくことは可能。

さらに、同じ物理的な単位時間の中でも、
情報時間中の体感時間を拡張することで、
同じ単位時間内で生みだす成果を増やすことも可能。

人類の平均寿命は79歳、
日本人に限って言えば約84歳です。
男性なら、約81歳。

この限られたスパンの、
さらに労働に毎日の大半を費やさざるを得ないこの環境の中で使える時間はとても限られています。

それでも、
時間を拡張し、
有効に活用し、
少しずつ確実に向上していくことは、
夢物語ではありません。

得られた希望を、
ただの希望で終わらせないで先に進んでいきましょう。

 

はい、
めっちゃ長いブログになってしまったけれど今回は以上!
Nähdään!

コメント

タイトルとURLをコピーしました