Moi!
こんにちは、ロニーです。
我が子、コニーがすごい勢いで成長していて驚かされます。
特に、1歳過ぎてからずっと気になっていた、言語の部分の能力がここ1ヶ月ほどで急激に伸びています。
1日1個以上は新しい単語を吸収しているんじゃないでしょうか。
体力面は毎日2回公園に遊びに行っているためか非常に優秀で、
鉄棒ぶら下がり維持、梯子のぼり、滑り台の坂道のぼり、両足ジャンプ、前転、ボール投げ、サッカーのドリブルのようなものがもうできます。
ただ言葉とオム卒(オムツ卒業)がまだ遅いのがちょっと気になってました。
そこに来ての急激なボキャブラリー増加に驚かされています。
さてさて今回は、
2歳から3歳にかけての経験がその後の一生を左右する「臨界期」について、
本で知ったので書きます。
臨界期とは
「臨界期」というものがあります。
これは感覚刺激への反応が育つ限界のことを指すようで、2歳~3歳の間が該当します。
大分専門的な話ので多少認識違いがあるかもしれませんが。
この臨界期の間に適正な感覚刺激を与えないと、この後どんなに刺激を与えても反応が鈍く、刺激をうまく受け入れられなくなるといいます。
(情報ソース:『天才脳を伸ばす2歳教育』 久保田競 大和書房)
また、過剰生成期と呼ばれる期間も別に存在します。
人は一生涯を通して経験を積み上げて脳を成長させていきます。
高齢者でも、脳は成長するということが近年分かってきました。
ニューロン(脳神経細胞)の数自体が減っていっても、その結びつき(ネットワーク)自体はより増やせるからだそうです。
そのニューロンの数は、生後8か月から3歳までの間は過剰生成期と呼ばれ、大量に作られます。
3歳を境に今度は減少していって、その環境で生きていくのに必要な、最適なものが厳選されます。
なるほど、人間が砂漠でも北極圏でもアマゾンでも、あらゆる環境に適応できるのはこういったわけなんですね。
人間の感覚器、目や耳などは機械でいえばセンサーです。
このセンサーで物の存在や変化を、光や音波を受け取り、脳内で処理することで脳内で映像や音として再構築しています。
同じモノ、例えば葉っぱが1枚あったとして、その葉っぱの色をどこまで詳細に見分けられるか。
同じ音、例えば木の棒をコーンと叩いたとして、その音階が何なのか。
幼少期から森などで育ってきた人はきっとその音や色味で、
種類を見分けたり聞き分けたり、その良し悪しを判断できるはずです。
長い期間をかけられるのであればどんな人でもやがては身に着く能力だと思いますが、
3歳までは、星のカービィの無敵モードのように、
なんでも高精度、高速に身につけていくことが出来るということになります。
この臨界期は、「敏感期」とも呼ばれます。
感覚が敏感だからですね。ぶっちゃけこっちの呼称の方が分かりやすい。
可塑性、という言葉があります。
これは、構造や質が変化する性質、変化したまま戻らなくなる性質のことを言います。
脳の可塑性といった場合は、経験や学習などによって脳の機能や構造が変質することを指すんですが、
臨界期を過ぎると、この脳の可塑性が下がり始めます。
実際にはその機能の種類によって微妙に臨界期の境は異なるようですが、
基本的には3歳頃がピークとされています。
この3歳までの間に、全体音感だとか、言語の機能などが定まるそうです。
個人的な経験としても実感があります。
僕は4歳頃までフィンランドに居て、母親とはフィンランド語、父親とは日本語で話していました。
そのおかげか、フィンランド語のリスニングや発音が難なくできたり、
英語や他の言語も抵抗感なく、比較的早く慣れることが出来ているように感じています。
そう考えると。
例えば子供に、外国語をスムーズに身につけてもらいたい場合や、
音楽、美術、自然のようなものの繊細さを受け取れるようになってもらいたいとか、
暑さ寒さなどの気温変化、ウイルスやストレスなどへの耐性を持つ丈夫な体を持ってもらいたいとか、
運動神経を備えてもらいたいとか。
そういった希望があるならば、この時期の子供の経験はとても重要性が高い。
あらゆる知覚、感覚神経に関わるものへの感受性のようなものは、この3歳までの経験に大きく左右されるということになります。
人は、自分の経験から学んでいくもの。
見た経験、触れた経験、聞いた経験、食べた経験、活動した経験。
そういった日常のすべての経験を吸収して、
「この事象はよく登場するから重要だな」と思ったものは記憶に残り、強く定着します。
また技術であれば習熟していきます。
一方で、全く経験したことのないものに関しては、
身体がすぐに対応できないので、慣れたり身につけたりするのがより大変です。
仮に、主観的な、後から思い返せる記憶として残らずとも、
身体が記憶するのであれば、この3歳までの経験は、とてつもなく重要だということになります。
この経験をベースにして、何が良い、何が好き、何が得意、というのが決まってくるということですもんね。
知覚経験を豊かにする教育、生活
3歳までに蓄積した経験が、その後の人生の好き嫌いや、得意不得意、審美眼、感性のもとになる。
じゃあ、具体的にどのようなアクションをすればよいのか?
よく言われるのは、一流のものに触れさせること、です。
美術館に行くとか、本物の動植物に触れるとか、生演奏を見聞きするとかです。
これは逆に言うと、テレビとか絵本とか沢山見てるからいいよね、というわけではなく、
実際にホンモノを見に外に出かけた方がいい、と考えられます。
同様に、香料や着色料が入った食べ物やファストフードとかレトルト品みたいな、安っぽい模造品はできるだけ避けた方がいい。
造花とかオモチャじゃなく、森や山や海を体感するとか、
スポーツ観戦やライブ演奏、コンサートなどに行ってみて実際の演奏を聴いたり、
自分で楽器を触って音を出してみるという経験も良いのでしょう。
味覚や嗅覚なら、
出汁の繊細な味から香りの強い生野菜まで、いろんな食材、調味料、地域のものを食べてみる。
様々な、ホンモノとの触れあいを通して神経や感性が磨かれ、
やがて自発的に「これが好き」「これをやりたい」という希望が生まれるようになるのだと思います。
しかしこの「一流のものに触れる」というのには欠点が一つあって、
「お金がかかる」。
少なくとも日本国内なら交通費がかからない年齢ではありますが、国際線の飛行機はかかります。
美術館とか動物園とかもチケット代が乳幼児は無料のところが多いですが、
知育の玩具とか食べ物とか楽器など、流石になんでもホンモノを揃えるのはかなり大変。
アメリカでは学歴主義が極端で、超一流の大学に入るためには、学業成績が優秀で試験結果もほぼ満点なのは当たり前、その上で、過去にどのような経験をしたかが問われるそう。
そうなったとき、お金持ちの家系ほど様々な経験をさせてあげられるため有利になってしまいます。
事実、起業とか社会福祉的なボランティア等をギュッと凝縮した体験パックというのが存在して、数百万円相当を払うことで、入学願書に載せられる深くて特殊な経験を積むことが出来るのだそうです。
(情報ソース:『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 マイケル・サンデル 早川書房)
この事実は、つまるところ「お金持ちの家の子供ほど多くの良質な経験に触れる可能性が高く、
それによって知覚神経を最大限活かす可能性が高まる」ことを指します。
資本主義の悪い一面、即ち「お金の多寡によって社会階層が固定、世襲されていく」という部分が露見していますね。
如何にしてお金をかけずにホンモノに接する機会を設けられるか?
その上で、どれだけ子供がホンモノに触れるために資本投下できるか?
が問われてきます。
お金をかければいいというものではないし、
同時に、お金がかからない範囲でしか経験させない(させられない)というのも問題。
幼少期から両親によく海外に連れて行かれていた子供には言語能力では劣るでしょうし、同時に色んな環境への適応力も敵わないでしょう。
プロのミュージシャン、僕がよく見聞きするのはドラマーですが、親が音楽関係の職に就いているケースがよくあります。
これももしかしたら幼少期からプロの演奏、音源、現場、人脈などに接し続けてきたからかもしれません。
貧しい、不遇な環境で生まれ育った人が大成するケースも聞きますが、割合としてはかなりレアである他、
起業家や経営者、投資家のような、
知覚や感性という能力がモノを言う分野じゃないというのが大きいのかなとは思います。
もちろん、起業家、経営者、投資家もなんらかの研ぎ澄まされた感覚を要するのだとは思いますけども。
お金をかけずにホンモノに触れる機会を作る方法
我が家のようにビンボーな場合、お金をかけずに子供にホンモノを経験させられることはできないのでしょうか?
僕はそうとは思いません。
というか、そこに甘んじるのはちょっと子供の成長への本気度が低いと思ってしまうので、諦められません。
出来る範囲で最大限のギフトを送りたい。
自然と触れ合って総合的な体感覚を養う
まずあらゆる知覚、体感覚に影響すると思っているのは、自然との触れあいです。
森や山の空気。
植物が多いところには微小な微生物が多く生息していて、そういった微生物を摂取することによって、腸内細菌叢(さいきんそう)が豊かになります。
人間の腸内には多くの微生物が住んでいますが、狩猟採集民族など森に生きている人の腸内細菌叢の多様性は、都心部に住んでいる人の何倍も多いそうです。
これはそのまま、免疫力に繋がってきます。
免疫力は健康に直結して、人間の無意識とかフィジカル面での環境適応性やストレス耐性に関わってきます。
また森や山など自然の多い場所で遊ぶことで、
植物、動物、虫や魚といった生き物が、人間とは別の社会を作り、当たり前に生きて生態系を成していることを皮膚感覚で受け入れられるようになります。
また、様々な食べ物が自然によってもたらされるということも学べます。
これらは人間が世界の支配者であるという誤った認識を打ち砕いてくれるので、
より謙虚で、エコロジカルで、他者との共存の感性を養えます。
また自然は過酷なので、平衡感覚とか体力とか身体の丈夫さは、日常の遊びの中で鍛えられるはずです。
この夏は、登山のレベル1、高尾山に行く計画を立てています。
今我が家は森からも山からも遠いですが、
親水公園や神社など、出来るだけ木や草や虫が多くいるようなところに毎日出かけています。
当然、自然に近づくほど怪我などのリスクは上がるので僕らもめっちゃ疲れます。
転んで怪我するし、虫に刺されるし、日に焼けるし、寒かったり暑かったりしますが、
でもその経験一つ一つによっと鍛えられているのでコニーはとても丈夫に育っています。
それに意外と身近な公園でも、色んな果実が食べられたりするんですよね。
これまでにキイチゴ、ヤマモモ、柿、枇杷、金柑、無花果、サクランボ、杏を近所でゲットして食べてます。
ハーブだとローズマリー、大葉、スペアミントが近所に野生で育っていて、家のプランターではセージ、タイム、バジルが収穫できます。
枯れちゃったけどレモンバームもこの前ハーブティーにしてコニーと一緒に飲みました。
去年はディル、一昨年はパクチーが取れたし、先日はお隣さんがミニトマトを収穫、お裾分けしてくれました。
意外と豊かだ!
ちなみに今うちの近くではプルーンの枝と実が道に張り出していて、収穫時期を狙っています。
(そのお宅は人が住んでいないのか、色んな果樹が庭にあるものの毎年すべて野鳥のエサか土の肥やしになっているのです…。
今度家主を見かけたら声かけてみよう。)
公共機関を活用する
公共機関、例えば美術館、博物館、水族館、動物園などを積極的に活用していきたいですね。
東京都内にはミュージアムの類が充実しています。
先日はお台場の先、青海にある日本科学未来館に行ってきました。
ロケットエンジン、ヒューマノイド、アザラシ型ロボット、大きな地球のようなモニターなど、インパクトのある物があります。
敬愛する落合陽一氏の展示、「計算機と自然、計算機の自然」が常設展で見られます。
じっくり見たかったけど、特別見物の人が多い上に、コニーには難しいようで興味を引いてもらえなかったので手短に見ただけでした。
ロボティクスとかテクノロジーとか宇宙のロマンに驚いてもらうのを期待していたものの、
コニーは展示の外にある、時間制のキッズエリアを一番楽しんでいました…
脳筋体力バカなタイプに育ちそうで怖い。
まぁ小さいうちはこんなもんか。
上野に行けば美術館、博物館も色々あります。
国立西洋美術館は毎月第2日曜日は常設展が無料開放されるので、8月に家族で行く予定です。
ロダンの地獄の門と考える人が楽しみ。
あと今我々は江戸川区内に住んでいるので、
葛西臨海公園や東京現代美術館、江戸東京博物館なんかが近くて行きやすいです。
音楽に触れる機会
家ではできるだけ音楽を流すようにはしています。
というか僕自身が音楽が好きなので、よく何かしらの音楽をかけているけれど、コニーは聴いているんだろうか…。
ドラムのスティック、シンバル、スネアドラムはうちにあるのでコニーに叩かせてあげてて、リコーダーなんかもありますが、
いかんせんアパートだと大きな音は出せないし、ちょっと限界がある気はしてます。
あ、そういえば船堀タワーホールの入り口付近にはアップライトピアノが置いてあって自由に弾けるので、たまにコニーと遊びに行ってます。
一度誰かちゃんと弾ける人の演奏を見せてあげたいなー。
コンサートみたいなものは多分コニーがうるさく騒いで迷惑かけてしまうので、お祭りとか野外イベントみたいのがあったらいいな。
すみだJazz Festivalとか行ってみよう。
このブログ読んだ知人で、誰かコニーに楽器演奏しているところを聞かせてもいいよ~って人がいたら連絡ください!
種類やジャンルは問いません!
ギター、タンバリン、和太鼓から尺八、鍵盤ハーモニカ、テルミン、DJまで何でもよいです。
外国文化と言語
言語能力が最も伸びるのは実際にはもっと後らしく5歳~6歳とも言われますが、
聞く能力、即ちリスニングスキルに関しては臨界期が関わっているらしい。
英語のYoutubeも普段よく見たりはしますが、正直これはホンモノとは言い難い…。
旅行するとか、ネイティブの人と会って過ごしたりできるといいんですが、なかなか機会をつくるのが難しいですね。
今年の夏、フィンランド旅行に行く予定だったのですが、キャンセルする運びとなりました。
この件についてはまた別途ブログで書くつもりですが、海外旅の経験は代替が効きにくい。
お金と時間と体力がみんな揃わないと決行できないのでとてもハードルが高いです。
幸い、友人のトゥオマス君がフィンランドからこの前来てくれて、しかもこの夏にまた再度来るというので、
英会話やフィンランド語会話を多少聞かせられるのを有難く思っています。
そうはいっても、やはり量が圧倒的に足りない…!
もっと日常会話に外国語を使ったり、コニーに外国語で話しかけたりという機会を増やさないといけないですね。
食の経験
食事に関して、ホンモノを追求するのは、これまたコスト的に難しい!
味や香りの違いを判別できることの利点としては、
一つ目は、食をより楽しめるようになること。分かりやすい。
世の中には食事を、ただのエネルギー補給、ガソリン給油のごとく捉えている人もいる。
僕の友人にもそんなひとはチラホラいます。
苫米地英人氏は「食は文化ではない」と切り捨てていますし、
極論、生きていければいいわけだからグルメや舌の肥え具合なんてなくてもクリティカルではないわけですが、
それでも僕は食を楽しむことを非常に重視しています。
味や香りの記憶は強く記憶に残ります。
記憶を呼び起こしたり、それに伴って感情を追体験したりすることが、味や香りによって可能になります。
キャラメルポップコーンの香りによって思い起こされる、楽しくてワクワクする気持ちって、みんなあると思います。
これは悪く捉えれば、生物の本能に対して、香りを通じてダイレクトに商業主義に洗脳されているとも言えるわけですけど、それでもそれを自覚した上であれば、むしろ意図的に自分の感情をコントロールできるという意味で有用でもありますしね。
僕も20代の頃は、雨の日限定で、好きな香りのボディーソープを朝使ってテンション上げたりとかしてましたし。
焼き立てのパン、
うなぎ屋の煙、
家の外で香るカレーを作る匂い、
焼き魚、
炭火の焼き鳥、
蕎麦屋の出汁つゆ、
アーリオオーリオするときのオリーブオイルとニンニク。
匂いだけで幸せになれる料理って色々あります。
味の良し悪し、
旬か否か、
産地の違い。
そういった微細な差異を感じられた方が、日常のエネルギー補給を楽しく豊かな時間に変えることが出来るわけです。
嗅覚、味覚を鋭敏にするメリットのもう一つは、
生物としては根源的なスキル、「傷んでるものの判別」です。
基本的に、臭い、マズいというのは、食事が体に合わないことを判別するシグナルです。
腐ったものを気付かず食べて食中毒になることをさけるためにも、
味覚嗅覚は鋭敏である必要があります。
食品ロスをなくすという視点においても、
これは食べられるかどうか、ということを、消費期限の表示だけでなく自分の鼻や舌でも見極められるというのはアドバンテージになります。
食中毒に限らず、
動物が近くにいるかどうか、
有害ガスが無いか、
カビや雑菌などに空間が侵されていないかといった危険性を避ける意味でも嗅覚は有用でしょう。
ホンモノ=高級品、というわけではないですが、
需要が供給を上回るがために希少化しているものは自然と価格が上がってしまうため、
良いもの、自然なもの、高級なものなどは高価になりがちです。
食べたいけど高い、
そんなところを狙って、あらゆる食品には模造品、まがい品、似て非なる代替品があるものです。
冷凍食品やレトルトやインスタント食品なんかはその典型ですね。
またよく「企業努力」という言葉で正当化されてしまいますが、
代替食材や香料や着色料、合成した調味料の類で疑似的に作り上げられたものも、さもホンモノかのように店先に並んでいるものです。
保守的ではあるけれど、まず地産地消、旬のもの、手作りのもの、加工プロセスが少ないものを基本として、
その上で不足分、またはアクセント、気晴らしなどに、その他のものを検討するのがベストでしょう。
おわりに
子供本人の自主性は大事だけども、3歳までは、その自主性の種となる経験が必要。
そうすると、その経験は、ほぼ親の趣味や仕事などの行動範囲や、家にあるもの、普段食べるものなどに左右される。
これは突き詰めると、親がすること、行くとこ、遊ぶこと、食べるもの、
そして過ごす環境がほぼ子供の趣味嗜好や得意不得意の根源につながるということになります。
僕自身が、
親を反面教師にしながらも同じ趣味嗜好を持っていたり、得意不得意に共通点があったりするのはそういう理由からなのでしょう。
翻って、我が子コニーに自分の至らない点を受け継がせず、自分の目標とする姿勢や能力を受け継がせるためには、
今の自分の行動や環境を変えることが重要になってきてしまう。
コニーを教師に、自分を顧みて生き方をより良くしていかないといけないですね。
今回は以上!
モイモイ!
オマケのコニー写真コーナー
おまけおわり!
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