自分の信仰・宗教を考えるとき

Moi!
こんにちは、ロニーです。

皆さんは自分の信仰心、宗教について考えていますでしょうか。

意識的に、
例えば自分は仏教徒である、キリスト教徒である、神道を信仰している、
のように明言できる人は、日本では少数とされています。

特に意識していないけれど、お墓参りに行ったり、結婚式や葬式に参加したり、
神社に参拝にいったり、お祭りやイベントに参加したりしています。

僕はこうした日本における、
特に「宗教を意識しないでもよい環境」を素敵だなと思っています。

信教の自由や政教分離、表現の自由という縛りのおかげでもあるけれど、
ナチュラルに多様性を許容できる土壌があるからです。

まぁ、世の中には自分の信仰や思想を他者に強要したり、
他の人の考え方に不寛容な連中も存在するため、
そうしたモンスターにエンカウントする不運はありますが、現代日本では少数でしょう。

 

さてそんな、信仰が自由な環境でも、
人生生きていれば、なんらかのタイミングで、
自分の信仰、宗教について考える必要性に直面することがあります。

そしてそうしたシーンというのは、往々にして切羽詰まった状況だったりします。

なので何もない時こそ
「自分はどういう信仰心を持っているのか」について、
明確に表せるように考えを固めておくべきです。

余計な諍い、損失、ストレスを避けるために。

 

今回のブログは、ほぼ自分語りになってしまいます。
僕ロニーが、どのように宗教や信仰について考えているかをまとめます。

自分の信仰心をわざわざこのように外部に明言する必要はありませんが、
僕は、ただ公開したい。
そして公表しても「イイネ」と言われるような世の中にしたい。

宗教はセンシティブな内容なのでタブーのような扱いをされています。
が、だからこそ不寛容や誤解や宗教争い・宗派争いがずっと続いているように僕は思うのです。

他者の価値観を知った上で、丸ごとその人を受け入れて付き合えるような、そんな社会を作りたい。

個人の思想や信仰を公開することが、そうしたオープンな空気を醸成出来たら望ましい限りです。

自分の信仰・宗教を考えるとき

自分の宗教観の経緯

僕は物心ついたときには、既に2つの信仰の種がありました。

一つ目がキリスト教プロテスタントで、
もう一つが仏教です。

僕は生まれてすぐに、フィンランドの教会で洗礼を受けています。

引っ越しを重ねる中で失くしてしまいましたが、生年月日が刻まれた銀のスプーンも長年使っていたし、確か中学生の頃には聖書も貰いました。
母親と教会に行った記憶も僅かにあります。

同時に、幼少期には父方のお墓参りに連れて行ってもらったりもしました。

「お前は両方持っているんだからプロテスタントのことを忘れるなよ」と昔父に言われたのを覚えてます。

僕自身は、
宗教・信仰はカッコウの刷り込み見たいなもので、洗脳に近いものだと考えています。

幼少期からこうだと言われ続ければ、それが当たり前になる。

なので僕にはキリスト教と仏教が両方とも植え付けられていて、
これを悪く言えば呪いだとも思っています。

ただ、幸いというべきか、
2つあるのが功を奏して、客観的に見ることができました。

だからこそ、死生観、信仰心、価値観に関して1つに染まらず、妄信せずに済んでいるとも言えます。

いうても、フィンランドのプロテスタントは教義が厳しくないし、
日本における仏教の扱いも同様。

僕は父方の祖父が亡くなって初めて、仏教宗派が真言宗であることを認識しました。
つまり、認識せずとも生きていけてしまうわけです。

歴史と倫理

学生時代から歴史の授業が好きでした。

物語のようで面白いからなのですが、感情移入するからこそ、
宗教争いや布教の不毛さを痛感していました。

当初はキリスト教を異端としていたローマ皇帝も、キリスト教が広まっていくや否や、
皇帝本人がキリスト教化し、やがて他宗派を異教と断じてしまいます。

近世初期の17世紀にはキリスト教が暴走して魔女狩りで大勢が無実の罪で虐殺されたし、

大交易時代(=大航海時代)、スペイン人がアメリカ大陸に渡った際には、
インカやアステカの末裔は異教徒として大勢殺されました。
(どちらかと言えば政治的目的の方が大きかったみたいですけどね)

カトリックかプロテスタントかで争い、
シーア派かスンナ派かで争う。

ユダヤ教徒は21世紀になってなお未だに迫害されている。

 

「宗教などなければ殺し合わずに済むのに、いったいなんでわざわざ信仰など持つのだ?」
という疑問を僕はずっと持っていて、
大学受験では、倫理を選択して自学しました。

学ぶほどに、宗教には、

世界の成り立ちを説明する側面、

社会を成り立たせる道徳・規範としての側面、

権力闘争の側面、

特権を受け継いで乱用することが可能だった側面(15世紀頃のキリスト教会の腐敗など)、

大義による他地域への侵略や簒奪、敵を殺す名分とする側面、

死を恐れさせない戦士を生み出す軍事力増強の側面などなど、

多くの顔があることが分かり、頭を抱えました。

人間の欲望、もっと言えば生存本能に即したものだからこそ、
根強くずっと宗教は存在するし、新たに生まれもするということが分かりました。

聖書

うちの本棚の聖書

比較文化で学んだこと

僕は都留文科大学の比較文化学科というところに入りました。

その学科の特性により、教授陣もみな全く違う研究テーマを持っていて、

例えばアルザス・ロレーヌ問題、
北アイルランドとアイルランドの国境問題、
南京大虐殺について、
ネイティブアメリカンについてなどなど、

複数の文化圏における社会的な課題や国際問題を取り扱っていました。

各講義でこうした問題がなぜ起きて、どのような施策を行っていて、
どんな課題があるのか、どうしたら解決できるのかといったことをよく考えさえられました。

共通するのが、「他者理解」の重要性です。

自分と異なる思想や価値観を持っていても、隣に住んでいる以上、共存しなければやっていけません。

人間なので、あいつはよく分からない、と思うと、恐怖心を抱いてしまうものです。
だから悪い方にばかり捉えてしまう。
それが酷くなると差別、排斥、虐殺などに繋がって行ってしまう。

だからこそ、相手の考えをまず知ること。
そして良し悪しの判断はどっかに置いといて、そういうものだとして受け入れること。

相手の考えを知るためには、先入観を外すことや、
相手の言葉や信仰や文化を学ぶことや、対話の機会をなくさないことなどが重要になってきます。

このベースを誰もが持てば、戦争に発展する前に、争いをかなり減らせるはずです。

宗教間はもちろん、人種間や民族間の争いでも同じ。

なので昨今の、トランプ大統領の言動や、
今年躍進した参政党の主義には強い危機感を抱いています。

魔術の研究

僕は小学生の頃から魔法・魔術への強い興味があって、

中学校でもPC室で、
魔術関連の資料を片っ端から調べてプリントアウトして読んだりしてました。

大学時代は魔法・魔術の歴史や文化を総合的に研究し、

「魔法とは何か」というテーマで卒論を書きました。

魔法について調べていくと、
キリスト教に対するカウンターカルチャー的に発展していった側面があったりして、
宗教との関係性が密です。

元来は各地域のまじないレベルで、民衆の生活に寄り添っていた魔術的文化も、
キリスト教における正統性を確立するためには邪魔となってしまい、
あるものは吸収され、あるものは異端とされ、あるものは忘れ去られました。

色とりどりで、神秘的で、生活の知恵でもあった多様な文化が、
多数派の宗教の暴力・権力の波によって破壊されてしまったことは、
僕はとしてはとても悲しいことと映りました。

今でも主流の宗教以前の信仰や文化について、
それを出来るだけ消えさせたくないと強く思っています。

取り分け、僕としてはペイガニズムとウィッカへの思い入れが強いです。

世界一周の旅での経験

2018年から2019年の間に僕は世界をバックパッカーとして旅しましたが、
その際には実際に多くの信仰と触れる機会がありました。

それまでの半生で思っていた気持ちを、より固めてくれました。

印象深かったエピソードを幾つか紹介します。

シベリア鉄道の道中で素早く教会参拝

旅の序盤、ロシアのシベリア鉄道に乗っているときのこと。

寝台車で同じ部屋になったロシア人のおばさんが何かと世話焼きで、
四六時中何かしら僕に話しかけてました。

ロシア語なので1ミリも分からないんですが、
道中、チタという街で途中下車したときに、
そのおばさんについて来いと引っ張られていったのがロシアの正教会でした。

停車時間が確か30分もないくらいでしたが、
ここでじっくりと参拝。

結局発車ギリギリになってしまって車掌さんにこっぴどく叱られたんですが、
こんな隙間時間ですら教会にいって膝ついて祈る本気さは印象的でした。

またこのシベリア鉄道、降りる頃にはなぜか別のお客さんからロシア語の聖書も貰ってしまいました。
ロシア人の信心深さは結構なものです。
日本国内ではここまで日常的な宗教活動に触れることがないため、印象的でした。

チタの教会

ノルウェー移民たちの優しさ

北欧ではがっつりヒッチハイクをして回っていたのですが、
ノルウェー各地の移民によく助けられました。

オップダールという町では、野宿するところを探していたときにバス停で知り合ったイラク人のお兄さんが気軽に家に泊めてくれました。
ちょうどその晩は雪が積もるくらいまで降ったので本当に助かりました。

またオスロに向かう道中でも、
ヒッチハイクで乗せてくれたおじさんはクルド人の柔道講師の方。

イラク人もクルド人も、
ニュースでよく耳にはするけれど、直接会ったことのない地域の人達です。

ちなみにフィンランドでのヒッチハイクでもソマリア人のお父さんが乗せてくれました。

移民の人たちは、自分たちが助けられたという恩があるからか、
積極的に人を助けるようにしているようで、特に外国人に対して優しい。

信仰や民族や文化が違っても、優しさは共通だなと実感した経験です。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナにおける宗教対立

モスタールのカフェで偶然知り合って、1週間近く泊めてくれたおじさんが居ました。

彼はクロアチア系の人で、去る内戦で友人を皆失くしてしまっていました。

内戦の理由にしても、また継続していた街中の対立にしても、
宗教・民族が対立の要因の一つでした。

モスタールは街の真ん中に川があって、その両端で住む人の宗教・民族に差がある傾向があります。

一方はカトリックで、もう一方がイスラムです。
更には正教徒もいます。

おじさんはキリスト教徒側ですが、対立すること自体を憎んでいて、どちらの見方もしない、と断言していました。

どちらの見方もしたくない、全員嫌いだからもう誰とも付き合わない。
でも君は日本人だから好きだ、武士道や禅は素晴らしいものだ、と話していました。

本来は善く生きるための宗教のはずなのに、
信心を持つことによって相対的に他者を憎むことになってしまう。

それならば何も信じない方がよい、というスタンスは、
リアリズムに則した、納得のいくものでした。

チュニジアで飲むビール

チュニジアはイスラム教国です。
大半がアラブ人。
しかしベルベル人やユダヤ教徒など、ムスリムではない人もいます。
伝統的なビールもあって、ある程度制限はあるものの、アルコールの製造、販売なども許可されており、
ビールを飲むことも禁止されていません。

もちろん、敬虔な方であれば飲酒を避けるべきだと考えていますが、
現地の人と一緒にカフェでビールを飲んでいて、同じ宗教であっても、地域ごとや個人によって、
その受け止め方に差があるんだ、ということを知りました。

チュニジアのビール

グラストンベリーという多文化の町

イングランドのグラストンベリーという小さな町。
僕が旅の中でも特に惚れた町ですが、
ここは色んなスピリチュアル文化が入り混じっています。

たった2泊3日の間ですが、

ケルトの流れをくむ遺跡を見学し、
魔術用具店で買い物し、
キリスト教会での輪唱会に参加し、
謎のペイガニズム系施設で瞑想に参加し、
パブではおじさんからUFOを見た話を聞きました。

色んな信仰を持つ人が同じ町に住んでいながら、お互いを尊重する空気を感じて、
これこそが最も自然な形なのでは、と思いました。

同じ観点から言えば、絶対に訪れるべきエルサレム。
僕もこの旅では行くつもりだったのですが、
当時はまだISが完全に落ち着いていなかったのでパスしてしまいました。

今となってはやはり行くべきだったなとやや後悔しています。

教会のロウソク

オタワでの食事の祈りに心温まる

フィンランドで偶然知り合ったカナダ人家族にお誘い頂いて、
オタワでお邪魔した時のこと。

数日間、泊めてくれたのですが、夕飯のときにいつもの習慣に参加できる機会がありました。

それは、家族で食卓を囲んで、手を繋いで、
今日一日にあった、残念だったこと1つ、そして良かったことを2つ以上共有する、というもの。

で、最後に感謝の言葉を述べて食事を頂く。

こうした、日々の感謝の気持ちを感じるという行為は、宗教の特にポジティブな側面ですね。

宗教・信仰というのが、縛られて苦しむためのものではなく、
自分自身が救われるためにある
、ということ思い起こさせた一件です。

オアハカで出会った友人との瞑想

メキシコのオアハカで知り合った、シカゴ出身のあるアメリカ人が、
日課として瞑想と気功をしていました。

それを教えてもらって、毎朝朝日に向かって一緒にやったのですが、
これが不思議と身体がすっきりします。

彼とも3日程度の付き合いでしたが、
まるで昔馴染の友人であるかのような、心休まる関係性を築けました。

人種がなんであれ、自分にしっくりくる信仰を選べばいいこと。

また、同じ価値観を持っていたり、相手にオープンな気持ちでいれば、
壁はすぐに取り払われるんだということを心から実感した経験でした。

宗教は、相談するのが難しい?

昨年父が亡くなった時は、結構厄介でした。

というのも、想定外の急死であったため、遺言も遺書も言伝も、
そういった父の遺志に関する記録がほぼ何もなかったからです。

父から、父本人の宗教や信仰についての思いを聞いたことは一度もありません。

僅かにあるのは、「俺が死んだら骨は海に流してくれ」と言っていたことくらい。

お墓参りに一緒に行った記憶もほぼありません。
介護の仕事の付き添いで例年、お正月には川崎大師には参拝に行っていましたが、
それ以外で初詣に行くのもほとんど聞いたことがありません。

興味がないのか、面倒くさいのか、嫌いなのか、そういったことが何もわからない。

最終的に、父方の祖父と同様、真言宗の和尚さんに頼んで、一般的な葬儀を行いました。

 

僕個人は、前章までに書いたように、様々な経験・思いから、
むしろ宗教に拘ったり縛られることの方が嫌だったので、
葬儀などは簡易的に済ませるのが良いのでは、と考えていたのですが、

親戚との温度差、信仰心、思想の違いによってことあるごとに揉めました。

強い思いがあるのならそれに合わせるから好きにしたら、と伝えましたが、

「長男で喪主なのだからちゃんとしろ」
「こういうしきたりで、マナーで、これが常識なのだから」
とあれもこれもと強制されるのが、非常に厄介でした。

 

こうした宗教ごとのまた難しい点は、
人に相談しにくいことです。

宗教・信仰はほんとに人それぞれ

日本では浄土真宗の割合が圧倒的に多いので、友人知人に家の宗教を聞いてみると、
「知らない」か、「浄土真宗」であることが多い。

というか浄土真宗は「阿弥陀如来を信じれば救われる」というシンプルなものなので、
念仏や般若心経を唱える必要すらないという簡単さです。

だからこそ民衆に広まったと僕は考えています。
戒律が厳しければ厳しいほど、救われる人が減ってしまう。
それでは信じても苦しむだけになってしまうからです。

もし「自分はこう思うんだけど」と相談した人が、
もっと厳しくすべきだと心から信じていたとすると、
それまでの関係性に亀裂が入るリスクすらあります。

勿論割合からすればすれは小さいのですが、やはり言い出しにくいものです。

かといって、やはり悩んだ時には誰だって大事な人に相談したいものだし、
大事な友人であれば、苦しんでいるときには相談に乗ってあげたいと、私は思います。

だから「宗教はタブーだ」として話さないのではなく、
お互いが相手を否定しない形で話し合うことを、僕は推したい。

オアハカの景色

おわりに

現時点で、僕が宗教や信仰について思っている気持ちを書きました。

結論、僕は宗教をどれも基本的に信じていません。

その代わり、重視する思想や、大事にする気持ちはあります。

神でも仏でもなく、
僕の場合はそれがだったり、自然だったり、自由だったり、科学だったりします。

むしろ思想として一番強いのは、おそらく「自分の信仰を押し付けない、という信念」です。

それが僕が思う、平和で仲良く生きるための智慧であり、善く生きるための道です。

 

まだまだ僕も人生の折り返し地点辺りなので、

今後、年を食って死期が近くなるほどにきっとまた新しい思い、考えが育ってくることと思います。
縋りたい支えというものを求めることもあるかもしれません。

ただ、現時点では、こう思うという部分を、一度まとめてみました。

あなたはどうですか?

今回は以上。
モイモイ!

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