Moi!
こんにちは、ロニーです。
先月末のエピソードです。
一昨年2023年に初めて参加したイノシシ丸焼き会に、今年も参加してきました。
年に一度、秋に開催されるのですが、
昨年は直前になって家族みんな風邪(おそらくCovid-19)にかかってしまって行けなかったんです。
ずっと悔しかったのですが、2年越しの熱量を背負って、
飯能へと行ってまいりました。
念願のイノシシ丸焼き会2025!
西武池袋線の飯能駅から車で約15分、成木というエリア。
ここにあるエアビー宿が会場です。

風土舎ハクナマタタに到着です!
知人からの紹介で参加させてもらえています。縁に感謝!!!


挑戦者たち
このイベントには毎年色んな人が参加します。
本の著者とか冒険家とか。
僕が参加した2年前と比較して、今回は何かしらに「挑戦」している人が多いと感じました。
それは登山であったり、執筆であったり。
アマゾン川をいかだで川下りした経験を持つ坪井伸吾さん、
七大陸の最高峰を海抜0メートルから頂上まで踏破することを目指している登山家の吉田智輝さん、
昨年僕も読んだ、
『ぼくは都会のロビンソン: ある「ビンボー主義者」の生活術』の著者の久島弘さんなどなど。
本を出版していたり監督の経験があるのはもはや当たり前のようなラインナップです。
それだというのにロニーときたら。何もしていないに等しい。

絵本『うみのまもの』の著者前田次郎さん

SEA TO SEVEN SUMMITSプロジェクトの吉田智輝さん
ここ風土舎ハクナマタタに来ると毎回思うけれど、
安全・安定・豊かな生活を捨ててでも、
人生を賭けた壮大なプロジェクトに邁進している人が多くて衝撃を受けます。
僕も割と自由奔放にやっているつもりですが、小っちゃい小っちゃい。
意識的にも無意識的にも、安全パイを選んでしまっている。
何か大きなことをしようとすると、その分の代償がかかってきます。
主に、所帯を持つのを諦めること、
命を失ったり大けがをする可能性があること、
仕事を失ったり収入がゼロになる未来が付きまとうことなどです。
誰からも評価も賞賛もされないかもしれない、でも熱意があるから貫き通す、
といった熱量を、彼ら挑戦者たちから感じます。

なんか色々やっている人(名前を失念…)

旅人で編集者でビンボー生活の久島弘さん

ネイティブアメリカンのシャーマン
ただ複雑な思いを感じるのは、
そうした一見世捨て人のような挑戦者たちも、
高学歴だったり目立った職歴を持っていたり多くのフォロワーや支援者が居たりすることです。
地頭の良さや、挑戦のための資金源を備えているからこそ挑戦して偉業を達成できているとも考えられます。
生存者バイアス・勝者バイアスなだけで、
実際にはこうしたリソースを持たないけど偉業を達成している人もいるかもしれません。
逆に、こうしたリソースを持っているからこそ、
周りから評価されるだけの功績を遺せているとも考えられます。
ただしこの考えは、
「才能やお金に恵まれないから自分は何も成し遂げられていないのだ」という
ダサい自己弁護に繋がる考えであるが故に、居心地の悪さを感じます。
少なくとも、そうした偉業達成やリスクの高いカッコイイ挑戦をするには、
単にリソースがあればいいというわけはなくて、必ず強い熱意、
誤解を恐れずに言えば偏執な執着心、妄信力を備えている必要があるのだろう。
リスクを顧みずに突き進む胆力、
もしくはリスクを最小限にしてでも挑戦するくらいの度量があってこそ成り立つことに変わりないはずです。
それを俺が持っているのかどうか。
そのナイフを突きつけられたような所在なさを感じさせられました。

骨入れ
ジビエを堪能
「ジビエ」というと、どうも美食の印象が付きまとってしまいますね。
でもこのイベントはそういった軽いものじゃありません。
今年のイノシシ丸焼き会では、例年のように、
鹿の燻し焼き、
イノシシの炙り丸焼き、
イノシシのドラム缶での蒸し焼き、
イノシシ汁、そして熊汁を頂きました。
どれも非常に美味しい。
年を重ねるごとに調理のコツを掴んでクオリティが高まっているような気がします。

鹿肉

焼いている鹿肉

焼きイノシシ

蒸し焼き中のドラム缶

柔らかくなるまで煮込んだ熊の味噌汁。
熊と人の関係性
例によって、乾杯前に冒険家で映画監督の関野さんから話がありました。
昨今話題の、熊について。
今年は熊被害が全国各地で多々起きました。
恐ろしい。
その要因となったのは何だったのか。どうすればよいのか。
熊が街中に出て来るようになった原因は複合的です。
ひとつは温暖化によって冬眠しない熊が増え、
餌の奪い合いとなって餌が減り、街中へと出て来るようになったこと。
そしてより重要なのが、
野生動物と人が重なる里山がなくなったことや猟師が減ったことによって、
熊が人を怖がらなくなったことです。
昔は複数の人の声が聞こえたり、鉄砲を持った人が里山にいたため、
それ以上街中へは熊は降りて来ませんでした。
これは、熊が人の脅威を知っていたということ。
しかし今は猟銃を撃つ人が減り、里山もなくなり、人も減ったことで、
山からすぐに人が住む民家に繋がってしまう。
改めて、野生動物に対して、人は危ないのだ、強いのだという脅威を教え込まなければならないのです。
こうした話を聞いて焦りを感じました。
現状を解決するのは一朝一夕ではできないからです。
畑も、猟師の技術も、人の生活圏も、急に変えられるものではありません。
今年だけでなく、人口減少が進み、温暖化も進み、
大都市への一極集中も進むこの世の中では、今後も野生動物による被害は続くことでしょう。

関野さんからの大事なお話
おわりに
今回も帰りに飯能駅近くのCafe Crockに寄りました。

最高です。
来年も飯能行きたい。
以上!モイモイ!

弾き語りをするコニー


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